藤田剛史

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'''藤田 剛史'''(ふじた つよし)は、「'''ローリー'''」の愛称で知られる、関西を代表するトップ[[プレイヤー]]。モットーは「[[マジック:ザ・ギャザリング|マジック]]は楽しくなければ」。
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'''藤田 剛史'''(ふじた つよし)は、「'''ローリー'''」の愛称で知られる、関西の[[プレイヤー]]。モットーは「[[マジック:ザ・ギャザリング|マジック]]は楽しくなければ」。
  
 
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[[日本選手権98]]で関西勢初の入賞を果たし、日本のマジックシーンに大きな影響を与える。そして[[グランプリ京都00]]で初戴冠、[[プロツアー東京01]]では日本人初のトップ8、[[プロツアー]]サンデー進出を果たす(準優勝)。そして2004年、[[プロツアー神戸04]]では彼の製作した[[ビッグ・レッド]]を操る[[黒田正城]]が日本人初のプロツアーチャンピオンとなり、[[日本選手権04]]では6年越しの待望の日本王者に輝く。
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[[日本選手権98]]で関西勢初の入賞を果たし、日本のマジックシーンに影響を与える。そして[[グランプリ京都00]]で初戴冠、[[プロツアー東京01]]では日本人初のトップ8、[[プロツアー]]サンデー進出を果たす(準優勝)。そして2004年、[[プロツアー神戸04]]では彼の製作した[[ビッグ・レッド]]を操る[[黒田正城]]が日本人初のプロツアーチャンピオンとなり、[[日本選手権04]]では6年越しの待望の日本王者に輝く。
  
 
これらの活躍から、"Resident Genius"として[[インビテーショナル05]]に招聘され、惜しくも決勝で[[Terry Soh]]に敗れるものの準優勝の活躍を見せた(この時彼のデザインした[[カード]]が[[宝石の洞窟/Gemstone Caverns]]である)。
 
これらの活躍から、"Resident Genius"として[[インビテーショナル05]]に招聘され、惜しくも決勝で[[Terry Soh]]に敗れるものの準優勝の活躍を見せた(この時彼のデザインした[[カード]]が[[宝石の洞窟/Gemstone Caverns]]である)。
  
その後も活躍を続け、世界最高の[[デッキビルダー]]の1人に数えられており、また現在の日本のマジック界の顔の1人と言っても過言ではないだろう。実力と人望から、関西地方の総大将といえる。
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その後も活躍を続け、[[デッキビルダー]]の1人に数えられており、当時の日本のマジック界の顔の1人と言っても過言ではなかった。
  
また、[[構築]]での実力から海外の調整チームから参加を乞われるようになった最初の日本人プレイヤーでもある。
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また、[[構築]]での実力から海外の調整チームから参加を許されるようになった日本人プレイヤーでもある。
  
2011-12シーズンにプロツアー参加をいったん休止し、日本の[[グランプリ]]を中心としたイベント解説者を担当しているものの、[[プロツアー「霊気紛争」]]では、同プロツアーで開幕した[[プロツアー#プロツアー・チームシリーズ|プロツアー・チームシリーズ]]の出場チーム「Last Samurai」の一員として、プロツアーシーンに復帰した。2017年1月にカードショップ「BIG MAGIC」とスポンサー契約を結ぶ。
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2011-12シーズンにプロツアー参加をいったん休止し、日本の[[グランプリ]]を中心としたイベント解説者を担当していたが、[[プロツアー「霊気紛争」]]では、同ツアーで開幕した[[プロツアー#プロツアー・チームシリーズ|プロツアー・チームシリーズ]]の出場チーム「Last Samurai」の一員として、プロツアーシーンに復帰していた。
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2017年1月にカードショップ「BIG MAGIC」とスポンサー契約を結ぶ。
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2022年2月に公になった[[齋藤友晴]]の賭けポーカー問題に際して違法賭博を容認するような発言をSNS上で行い、それが原因となって同月に「BIG MAGIC」のスポンサー契約を解除された<ref>[https://kai-you.net/article/82854 『MTG』殿堂プレイヤー藤田剛史、BIG MAGIC ELDERS 契約終了] KAI-YOU 2022.02.16 13:47 (2022年2月16日閲覧)</ref>。
  
 
*実年齢はトップシークレット。プロツアーのプロフィールの年齢は偽りである。
 
*実年齢はトップシークレット。プロツアーのプロフィールの年齢は偽りである。
*[[The Finals97]]の[[青白コントロール]]、日本選手権98の[[カウンターフェニックス]]は共にメイン63枚という常人と違ったチューンが施されていた。この枚数について当人曰く「デッキは60枚で組み、大会当日の顔ぶれを見て3枚(呪文2枚、土地1枚)追加する」らしい。恐ろしい男である。
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*[[The Finals97]]の[[青白コントロール]]、日本選手権98の[[カウンターフェニックス]]は共にメイン63枚という常人と違ったチューンが施されていた。この枚数について当人曰く「デッキは60枚で組み、[[対人メタ|大会当日の顔ぶれを見て]]3枚追加する」らしい。
*[[ブロック構築]]では[[多色地形]]が足りないので[[単色デッキ]]、ただし、[[インベイジョン・ブロック]]のように多色地形が多いブロックであれば2色デッキも可、というポリシーがある。
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**[[マナバーン]]紙上で、追加の内訳は呪文2枚+土地1枚と語っていた。
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*[[ブロック構築]]では[[多色土地]]が足りないので[[単色デッキ]]、ただし、[[インベイジョン・ブロック]]のように多色土地が多いブロックであれば2色デッキも可、というポリシーがある。
 
*彼はしばしば奇抜なデッキで人を驚かせるが、これらの中には[[カジュアルプレイ]]層から得た物も多いそうだ。
 
*彼はしばしば奇抜なデッキで人を驚かせるが、これらの中には[[カジュアルプレイ]]層から得た物も多いそうだ。
 
*かつては生涯獲得賞金および生涯[[プロツアー・ポイント]]が日本人トップだった。現在ではいずれも[[中村修平]]らに抜かれている。
 
*かつては生涯獲得賞金および生涯[[プロツアー・ポイント]]が日本人トップだった。現在ではいずれも[[中村修平]]らに抜かれている。
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*[[カウンターシャンブラー]] ([[プロツアー東京01]] 準優勝)
 
*[[カウンターシャンブラー]] ([[プロツアー東京01]] 準優勝)
 
*[[ネクロウィニー]]
 
*[[ネクロウィニー]]
*[[老練の喧嘩屋/Veteran Brawlers|けんか]][[バーン]] ([[アジア太平洋選手権00]])
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*[[バーン/スタンダード/ウルザ・ブロック+マスクス・ブロック期|けんかバーン]] ([[アジア太平洋選手権00]])
 
*[[ネクロ・ドネイト]] ([[グランプリ京都00]] 優勝)
 
*[[ネクロ・ドネイト]] ([[グランプリ京都00]] 優勝)
 
*[[匂いバーン]] ([[世界選手権99]])
 
*[[匂いバーン]] ([[世界選手権99]])
 
*[[赤茶単]] ([[タッチ]][[白]]、[[アジア太平洋選手権99]] ベスト4)
 
*[[赤茶単]] ([[タッチ]][[白]]、[[アジア太平洋選手権99]] ベスト4)
 
*[[カウンターフェニックス]] ([[日本選手権98]] ベスト4)
 
*[[カウンターフェニックス]] ([[日本選手権98]] ベスト4)
*[[青白コントロール]] [[The Finals97]] ベスト8)
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*[[青白コントロール]] (タッチ緑、[[The Finals97]] ベスト8)
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==脚注==
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==参考==
 
==参考==
*[http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/HallOfFame.aspx?x=mtgevent/hofplayer/tfujita 殿堂入り記念ページ]
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*[http://web.archive.org/web/20030415044040/http://www.wizards.com/sideboard/JParticle.asp?x=jp20010324a 飛躍の要因 ~藤田剛史~(Internet Archive)]([[2001年]]3月24日 [[森慶太]]著)
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*[http://web.archive.org/web/20130411174849/http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/jpfeature/20020515a インタビュー:藤田剛史(Internet Archive)]([[2002年]]5月15日 森慶太著)
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*[https://magic.wizards.com/en/events/coverage/top-players/pthof/2007/tsuyoshi-fujita 殿堂入り記念ページ]/[https://mtg-jp.com/events/hall_of_fame/tsuyoshi-fujita.html 日本語]
 
*[[宝石の洞窟/Gemstone Caverns]]([[インビテーショナルカード]])
 
*[[宝石の洞窟/Gemstone Caverns]]([[インビテーショナルカード]])
 
*[https://twitter.com/fujita_rolly Twitter アカウント]
 
*[https://twitter.com/fujita_rolly Twitter アカウント]

2023年3月12日 (日) 12:30時点における最新版

藤田 剛史(ふじた つよし)は、「ローリー」の愛称で知られる、関西のプレイヤー。モットーは「マジックは楽しくなければ」。

目次

[編集] 概要

日本選手権98で関西勢初の入賞を果たし、日本のマジックシーンに影響を与える。そしてグランプリ京都00で初戴冠、プロツアー東京01では日本人初のトップ8、プロツアーサンデー進出を果たす(準優勝)。そして2004年、プロツアー神戸04では彼の製作したビッグ・レッドを操る黒田正城が日本人初のプロツアーチャンピオンとなり、日本選手権04では6年越しの待望の日本王者に輝く。

これらの活躍から、"Resident Genius"としてインビテーショナル05に招聘され、惜しくも決勝でTerry Sohに敗れるものの準優勝の活躍を見せた(この時彼のデザインしたカード宝石の洞窟/Gemstone Cavernsである)。

その後も活躍を続け、デッキビルダーの1人に数えられており、当時の日本のマジック界の顔の1人と言っても過言ではなかった。

また、構築での実力から海外の調整チームから参加を許されるようになった日本人プレイヤーでもある。

2011-12シーズンにプロツアー参加をいったん休止し、日本のグランプリを中心としたイベント解説者を担当していたが、プロツアー「霊気紛争」では、同ツアーで開幕したプロツアー・チームシリーズの出場チーム「Last Samurai」の一員として、プロツアーシーンに復帰していた。

2017年1月にカードショップ「BIG MAGIC」とスポンサー契約を結ぶ。 2022年2月に公になった齋藤友晴の賭けポーカー問題に際して違法賭博を容認するような発言をSNS上で行い、それが原因となって同月に「BIG MAGIC」のスポンサー契約を解除された[1]

[編集] 主な戦績

[編集] プロツアー

[編集] マスターズ

[編集] グランプリ

[編集] その他

[編集] 代表的なデッキ

[編集] 脚注

  1. 『MTG』殿堂プレイヤー藤田剛史、BIG MAGIC ELDERS 契約終了 KAI-YOU 2022.02.16 13:47 (2022年2月16日閲覧)

[編集] 参考

マジック・プロツアー殿堂顕彰者
2005年 Jon Finkel - Darwin Kastle - Tommi Hovi - Alan Comer - Olle Råde‎
2006年 Bob Maher - David Humpherys - Raphaël Lévy - Gary Wise - Rob Dougherty
2007年 Kai Budde - Zvi Mowshowitz - 藤田剛史 - Nicolai Herzog - Randy Buehler
2008年 Dirk Baberowski - Mike Turian - Jelger Wiegersma - Olivier Ruel - Ben Rubin
2009年 Antoine Ruel - Kamiel Cornelissen - Frank Karsten
2010年 Gabriel Nassif - Brian Kibler - 齋藤友晴 - Bram Snepvangers
2011年 中村修平 - Anton Jonsson - Steven O'Mahoney-Schwartz
2012年 Paulo Vitor Damo da Rosa - 津村健志 - 大礒正嗣 - Patrick Chapin
2013年 Luis Scott-Vargas - William Jensen - Ben Stark
2014年 三原槙仁 - Paul Rietzl - Guillaume Wafo-Tapa
2015年 Eric Froehlich - 八十岡翔太 - Willy Edel
2016年 渡辺雄也 - Owen Turtenwald
2017年 Josh Utter-Leyton - Martin Jůza
2018年 Seth Manfield - Lee Shi Tian
2019年 Reid Duke
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