齋藤友晴

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復帰後は、本拠を東京に移し、国際的な活躍を続けている。チーム戦の[[プロツアーチャールストン06]]で[[プロツアー]]初優勝を果たすと、[[グランプリストラスブール07]]で悲願の個人タイトルを獲得。そして、2006-2007シーズンの[[プレイヤー・オブ・ザ・イヤー]]に輝いた。
 
復帰後は、本拠を東京に移し、国際的な活躍を続けている。チーム戦の[[プロツアーチャールストン06]]で[[プロツアー]]初優勝を果たすと、[[グランプリストラスブール07]]で悲願の個人タイトルを獲得。そして、2006-2007シーズンの[[プレイヤー・オブ・ザ・イヤー]]に輝いた。
  
特に[[殴る]][[デッキ]]、速攻デッキが得意なことで有名で、[[ストンピィ]]などの[[クリーチャー]]デッキを使用することが多い。また、近年は[[デッキビルダー]]としての活躍も目覚ましく、[[スノウ・ストンピィ]]や[[シー・ストンピィ]]などの[[クロック・パーミッション]]の製作を手がけている。[[世界選手権07]]では、当時、いわゆる「日本殺し」と言われたレギュレーションだった[[レガシー]]において、新たなアーキタイプとなる[[Tomb Stompy]]を制作し、[[森勝洋]]に提供。結果、森が好成績を収めたことで、幅広い[[フォーマット]]でのデッキ構築力を見せつけた。
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特に[[殴る]][[デッキ]]、速攻デッキが得意なことで有名で、[[ストンピィ]]などの[[クリーチャー]]デッキを使用することが多い。また、近年は[[デッキビルダー]]としての活躍も目覚ましく、[[スノウ・ストンピィ]]や[[シー・ストンピィ]]などの[[クロック・パーミッション]]の製作を手がけている。[[世界選手権07]]では、当時いわゆる「日本殺し」と言われた[[フォーマット]]だった[[レガシー]]において、新たなアーキタイプとなる[[Tomb Stompy]]を制作し、[[森勝洋]]に提供。森が好成績を収めたことで、幅広いフォーマットでのデッキ構築力を証明することとなった。
  
 
[[プレミアイベント]]遠征を活かしてトレーダーとしての活動も始め、2009年2月にはネットショップ「'''MTG通販 晴れる屋'''」を開いている。
 
[[プレミアイベント]]遠征を活かしてトレーダーとしての活動も始め、2009年2月にはネットショップ「'''MTG通販 晴れる屋'''」を開いている。

2009年10月19日 (月) 16:50時点における版

斎藤 友晴(さいとう ともはる)は、東京のマジックプレイヤー、ネットショップ運営者。

福島の高校生だった1999年にMagicを始め、わずか数か月のキャリアでThe Finals99直前予選を通過し、決勝で大本命と言われた「ブルーマスター」小宮忠義を撃破し優勝という劇的なシンデレラストーリーで表舞台に登場した。しかし、アジア太平洋選手権01グランプリ神戸01では2連続で「受賞資格も失う失格」となり、2001年10月1日より1年半(2003年4月1日まで)の出場停止処分を受けている。

復帰後は、本拠を東京に移し、国際的な活躍を続けている。チーム戦のプロツアーチャールストン06プロツアー初優勝を果たすと、グランプリストラスブール07で悲願の個人タイトルを獲得。そして、2006-2007シーズンのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

特に殴るデッキ、速攻デッキが得意なことで有名で、ストンピィなどのクリーチャーデッキを使用することが多い。また、近年はデッキビルダーとしての活躍も目覚ましく、スノウ・ストンピィシー・ストンピィなどのクロック・パーミッションの製作を手がけている。世界選手権07では、当時いわゆる「日本殺し」と言われたフォーマットだったレガシーにおいて、新たなアーキタイプとなるTomb Stompyを制作し、森勝洋に提供。森が好成績を収めたことで、幅広いフォーマットでのデッキ構築力を証明することとなった。

プレミアイベント遠征を活かしてトレーダーとしての活動も始め、2009年2月にはネットショップ「MTG通販 晴れる屋」を開いている。

主な戦績

代表的なデッキ

参考

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