石田格

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1970年1月1日 (木) 09:00時点における (トーク)による版
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石田格(いしだいたる)

日本マジック界の生き証人の一人であり、「和の鉄人」。

経歴

高校時代に「獨協四天王」の一人として頭角を現し、「日本最強の高校生」と評される。 早くからプロツアー世界選手権に参戦し、世界規模での経験を積んでいく。

The Finals98アンチMoMa赤茶単アカデミーを披露し、 年ウルザ・ブロック構築では翌年の日本選手権00を制する青茶単の原型となったイタリックブルーを作り上げるなど、 この頃からデッキビルダーとしての才能を開花させる。

日本の大転換期、そして、彼の全盛期とも言える2001年の活躍はもはや伝説である。 2月マスターズ東京準優勝、5月グランプリ台北準優勝、 1350人を超える参加者を数えた8月のグランプリ神戸01で優勝し、待望の個人戦タイトルを獲得。 10月マスターズニューオーリンズ・ゲートウェイ突破。 11月のグランプリ仙台01では1週間前に行われたグランプリラスベガス01で登場したワイルドゾンビをわずか1週間で極限のレベルにまで完成させ、スイスラウンドを13勝無敗1分で突破。 優勝こそ逃したものの、その才能を存分に見せつけた。 勢いそのままに年末のThe Finals01ではメタゲームを読み切りメタステロイド般若の面を投入、 観衆から「見ていて絶対負ける気がしない」と言わしめたほどの圧勝で優勝を飾る。

そして、これらの活躍の結果、2002年10月に開催されたインビテーショナルにアジア太平洋地域の最多プロツアー・ポイント保有プレイヤーとして招待された。

2001年マスターズ東京と2002年マスターズ大阪では「Panzer Hunter」を2大会連続準優勝に導き、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを狙う森勝洋のために結成した「アンチャンズ」も2001年グランプリ台北で準優勝を果たし、森のルーキー獲得に貢献している。 また「Panzer Hunters」として参戦した2003年のマスターズ・ヴェニスでは準決勝で「P.S.2」との日本人チーム対決に敗れはしたものの、緒戦でKai Budde率いる「Phoenix Foundation」を降し、マスターズ大阪での雪辱を果たしている。

現在は東名コミュニティ「マジック虎の穴」のリーダー格として活躍している。

特徴

プレイヤーとしての実力はもちろん素晴らしいが、 イタリックブルーを作り上げたデッキビルダー能力、 ワイルドゾンビ般若の面で披露したデッキチューナー能力、 チーム戦での司令塔としての働き、コミュニティの統率力など、各分野で世界トップクラスの才能を持つ。

チーム戦のロチェスター・ドラフトにおいて、石田のチームはすべて彼1人の指示でピックが行われている。 そのボードコントロールは筆舌に尽くしがたく、対戦相手のチームのピックまでコントロールしているかのようである。

  • あるインタビューでチーム・ロチェスターのピックの練習を一人で(6人分のデッキを作成)一つのシーズンに100回行うと答えている。
  • 05年GP大阪において、ドラフトのテーブルについていたあるジャッジが「彼は右脳と左脳の間に『チーム・ロチェ脳』を持っている」と言ったほどである。

カードショップ「フューチャー・ビー」に就職。 プロのテニスプレイヤーやスキーヤーの様に「スポンサー契約プレイヤー」であり、大会賞金ではなくてスポンサー契約料にて生計を立てている。名実共に「日本初の“プロ”プレイヤー」である。

主な戦績


代表的なデッキ

参考

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