当て推量/Second Guess
提供:MTG Wiki
(版間での差分)
(3人の利用者による、間の7版が非表示) | |||
3行: | 3行: | ||
その[[ターン]]に[[唱える|唱え]]られた[[呪文]]の数を考慮する必要がある[[打ち消す|打ち消し]]呪文。 | その[[ターン]]に[[唱える|唱え]]られた[[呪文]]の数を考慮する必要がある[[打ち消す|打ち消し]]呪文。 | ||
− | [[軽い]][[打ち消す|カウンター]] | + | [[軽い|軽く]]、[[色拘束]]も薄い[[打ち消す|カウンター]]であり、近年の打ち消しの中ではかなり[[コスト・パフォーマンス]]がいい部類に入るのだが、制限が厳しく使いどころが難しい。1つ目にいきなり使われる強力な呪文はダメだし、3つ目以降の例えばチェーンコンボの決めカードもダメ。必要なときに役立たない状況が起こりがちなのは致命的な欠点である。 |
− | 1つ目を[[あなた|自分]] | + | 特に、[[対戦相手]]が1つ目に強力な呪文を使ってきたときが厳しい。自分が[[対応して]]なにか呪文(例えば他の打ち消し呪文)を唱えてしまうと、それが2つ目になってしまうので、そのターンにはもう役立たずになってしまう。[[起動型能力]]などの呪文ではない対抗手段と上手に組み合わせて補いたいが、なかなか難しい。 |
+ | |||
+ | 1つ目を[[あなた|自分]]が押さえておくと、ちょうど[[対戦相手]]の呪文は2つ目になるため、使いやすくなる。相手のターンであれば、[[アップキープ・ステップ]]に先に自分が何か唱えておけば良い。または自分の[[ターン]]に、こちらが唱えた1つ目の呪文に対するカウンター、あるいはこちらが1つ呪文を唱えた後に対戦相手が[[終了ステップ]]に唱えた[[除去]]などが狙い目。 | ||
+ | |||
+ | *[[奇跡]]にも対処しづらい。大抵の場合、[[ドロー・ステップ]]にターンの1つ目の呪文として唱えられるため。ただし奇跡は「奇跡[[能力]]が[[誘発]]→[[解決]]時に唱える」という挙動なので、誘発に対応してこちらが呪文を唱えれば2つ目の呪文にすることができる。 | ||
+ | *呪文の数を気にしているそぶりを見せることで、このカードを[[手札]]に持っていると思わせる[[ブラフ]]も可能。[[デッキ]]に入れていない場合ですら成り立つ。 | ||
+ | *英語版の[[カード名]]はもちろん「2つ目の呪文」と引っ掛けたシャレ。英語特有の慣用表現であるため、日本語で再現できなかったのは仕方ないとはいえ残念なところ。 | ||
==参考== | ==参考== | ||
*[[条件付きカウンターカード]] | *[[条件付きカウンターカード]] | ||
+ | *[[2回目の行動を参照するカード]] | ||
*[[カード個別評価:アヴァシンの帰還]] - [[アンコモン]] | *[[カード個別評価:アヴァシンの帰還]] - [[アンコモン]] |
2021年12月23日 (木) 19:53時点における最新版
そのターンに唱えられた呪文の数を考慮する必要がある打ち消し呪文。
軽く、色拘束も薄いカウンターであり、近年の打ち消しの中ではかなりコスト・パフォーマンスがいい部類に入るのだが、制限が厳しく使いどころが難しい。1つ目にいきなり使われる強力な呪文はダメだし、3つ目以降の例えばチェーンコンボの決めカードもダメ。必要なときに役立たない状況が起こりがちなのは致命的な欠点である。
特に、対戦相手が1つ目に強力な呪文を使ってきたときが厳しい。自分が対応してなにか呪文(例えば他の打ち消し呪文)を唱えてしまうと、それが2つ目になってしまうので、そのターンにはもう役立たずになってしまう。起動型能力などの呪文ではない対抗手段と上手に組み合わせて補いたいが、なかなか難しい。
1つ目を自分が押さえておくと、ちょうど対戦相手の呪文は2つ目になるため、使いやすくなる。相手のターンであれば、アップキープ・ステップに先に自分が何か唱えておけば良い。または自分のターンに、こちらが唱えた1つ目の呪文に対するカウンター、あるいはこちらが1つ呪文を唱えた後に対戦相手が終了ステップに唱えた除去などが狙い目。
- 奇跡にも対処しづらい。大抵の場合、ドロー・ステップにターンの1つ目の呪文として唱えられるため。ただし奇跡は「奇跡能力が誘発→解決時に唱える」という挙動なので、誘発に対応してこちらが呪文を唱えれば2つ目の呪文にすることができる。
- 呪文の数を気にしているそぶりを見せることで、このカードを手札に持っていると思わせるブラフも可能。デッキに入れていない場合ですら成り立つ。
- 英語版のカード名はもちろん「2つ目の呪文」と引っ掛けたシャレ。英語特有の慣用表現であるため、日本語で再現できなかったのは仕方ないとはいえ残念なところ。