藤田憲一
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藤田 憲一(ふじた けんいち)は、日本のマジックプレイヤー。
アメリカやヨーロッパの巨漢プレイヤーたちに引けを取らない体格を持ち、相手を威嚇するかのような表情から「悪い男」の異名を持つ。愛称はフジケン、組長。
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概要
マジック黎明期より渋谷を中心に活躍しており、中村聡や広木克哉と共に、日本でのマジック普及に尽力した。
日本初のグランプリであるグランプリ東京97で優勝を果たす。しかし、優勝トロフィーをうっかり落として壊してしまい、Andrew Finchに代わりのトロフィーを貰えるかを尋ねるものの、「またグランプリを勝ちなよ」と言われ貰うことができなかった。(参考) そして、言われたとおりグランプリ台北99で再び優勝(日本人初の海外グランプリ制覇)を果たす。
日本で初めて強豪プレイヤーたちが結集した集団「フジケン組」の創立者とされるが、意図的に作ったのではなく、渋谷のプレイヤーによって勝手につけられたもので、「フジケン組」たるチームはなかったと氏は発言している。氏のこわもてとその命名があいまって、暴力団の名前であるかのように一人歩きし、今でもたびたび氏をからかうネタとなっている。フジケン組長と呼ばれるのはこれが由来である。
90年代~00年代にかけて、ゲームぎゃざなどで、コラムの執筆や初級~中級者向けのルーリング講座のガイド役をして後進の育成に貢献。また、プレイヤーとしても日本選手権に第1回(1996年)から11年連続出場の大記録を樹立した。
- 黒(特にハンデス)使いとしても有名で強迫/Duressをこよなく愛している。本人いわく、「初手に強迫が無ければマリガン」だそうだ。
- トキリンに代わり、二代目レミィの師匠として描かれる。その後、単色王子ジョンにその役目をバトンタッチしている。
- 上記のぴよぷー漫画の似顔絵は詐欺とも。参考(二段目最左)
- グランプリ東京97で戦士の誉れ/Warrior's Honorの存在を利用したブラフから、「攻撃する時は、とぼけてアタック」なる迷言を生み出した。参考
- 上述の通り「日本初のグランプリ覇者がトロフィーを割った」という伝説を残したのだが、後のフジケン組のネタと相まって故意に叩き割ったと認識しているプレイヤーが少なからずいる。
- 「練習しなければしないほど強い」らしい。
- 日本選手権02でサイカレスと対戦した一人でもある。参考1参考2
- かつてゲームぎゃざのコラムで真木孝一郎と対談し、ふたりして「マジックよりも納豆のほうが大事」という結論を出していた。
- セガ発売のアーケードゲーム、三国志大戦ではハンドル名「国姓爺」として上位プレイヤーの1人である。彼の構築したデッキは「国姓爺デッキ」として名を残している。参考
- 第9版のテーマデッキの一つ、再びの死の解説を行った。参考
- 現在は第一線を退いているものの、タカラトミーのホームページで基本セット2010のコラム(黒レビュー)を担当するなど、今なお存在感を示している。
- 日本選手権11と併催されたバトル・オブ・チャンピオンのフォーマット、スーパーシールドの解説を公式サイトで行った。参考
- 基本セット2012では鍛冶友浩と共にコラムを執筆した。参考
- ホビージャパン ゲーム開発課に在籍。同社から発売された「ラスト クロニクル」のプロデューサーを務める(2013年5月16日)参考
おもな戦績
- プロツアーアムステルダム04 ベスト16
- グランプリ静岡03 ベスト8
- 日本選手権99 ベスト4
- グランプリ台北99 優勝
- グランプリ東京97 優勝
代表的なデッキ
- ジェネレーション・ジーニアス(ぎゃざインビテーショナル00準優勝)
- ターボステイシス(日本選手権97)
- サバイバル・デス(日本選手権99 ベスト4)
- 黒コントロール(日本選手権02)
- 黒コントロール(日本選手権03)
- デスクラウド(日本選手権04)
- リアルジャパニメイション(日本選手権06)
参考
- インタビュー:藤田憲一 パート1 (WotC)
- インタビュー:藤田憲一 パート2 (WotC)
- ~強迫するのも楽じゃない~ 第一回:グランプリ仙台
- ~強迫するのも楽じゃない~ 第二回:Finals 2001
- ~強迫するのも楽じゃない~ 第三回:トーメントプレリリースとか
- ~強迫するのも楽じゃない~ 第四回:GP 福岡とか
- ~強迫するのも楽じゃない~ 第五回:PT 大阪
- ~強迫するのも楽じゃない~ 第六回:GP 名古屋
- ~強迫するのも楽じゃない~ 第七回:日本選手権
- 実在の人物