合肥の勇将 張遼/Zhang Liao, Hero of Hefei

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Zhang Liao, Hero of Hefei / 合肥の勇将 張遼 (4)(黒)(黒)
伝説のクリーチャー — 人間(Human) 兵士(Soldier)

合肥の勇将 張遼が対戦相手にダメージを与えるたび、そのプレイヤーはカードを1枚捨てる。

3/3

スペクタータイプのクリーチャーだが、明らかにコストと能力が見合っていない。魏の夜襲部隊/Wei Night Raidersより2マナ重くなっているのにサイズは一回りしか変わらず、さらに馬術を失っている。ポータル三国志にいくつかある、明らかに弱すぎるカードのうちの1つ。

歴史上の人物

張遼(169〜225)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて活躍した武将。字は文遠。

武勇に優れていたことを丁原に見出され、その家臣となる。丁原の命で洛陽に上り、そこで当時大将軍だった何進に仕えることとなったが、何進の命を受けて河北に行く途中で、宦官と何進との勢力争いが起き、何進が殺されてしまう。董卓が上洛し実権を握ると、丁原も呂布に暗殺されたため董卓の家臣となる。董卓死後は呂布の家臣となった。

呂布の死後、曹操の家臣となり、徐州での戦いで劉備軍と孤立し自害しようとした関羽を説得させ、曹操の客将とさせた。200年の官渡の戦いでは、当時曹操の客将となっていた関羽と共に先鋒を務め、劉備の元へ帰る関羽を見送りに行ったりと関羽とは敵ながらも親交があった。

208年の赤壁の戦い後は、合肥に駐屯して楽進や李典と共に呉の侵攻を度々防いだ。215年に孫権が10万の大軍を率いて押し寄せるが、曹操が残した策により李典とともにわずか800騎の精兵を率いて出陣し、呉軍の出鼻を挫く。この際に配下の兵が呉軍に追いつめられているのを見て、逆に単身で助けにいったと言われている。その後も堅く守り、結局20日にも及ぶ呉軍の攻勢を凌ぎ、敵が兵を引くとこれを追撃し、孫権をあと一歩のところまで追い詰め、心胆を寒からしめた。この張遼の武勇は江南にも広く轟き、「遼来来(張遼が来るぞ)」とその名を聞けば泣く子も黙ると大いに恐れられた。孫権もまた、張遼がいる限り合肥は奪えぬ、と嘆いたという。

225年、病のために江都で死去した。

参考

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