トーク:朱鷺田祐介

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「スザク」ゲームズの人だからと、朱鷺田を「すざくだ」と読んではいけない。(スザクは「朱雀」である。)
この記述の意図が分かりません。名前の読み方は最初にあるので読み間違えへの配慮はすでに十分されています。
あるいは、仮定の話ですが、同じ鳥の名でもある「スザク」「トキ」に関連付けて「すざくだ」さんと”良く呼ばれている”ということならば、それは「トキリン」と同じく愛称として記述すべき内容です(事実を否定するような呼びかけをM:TG Wikiで行うのは不適切)。
どうでしょう?--ヴぁ 2009年2月5日 (木) 23:50 (JST)
このまま説明が無い場合、「名前の読み方は初めにあり、読み間違えへの配慮は十分されている」ため該当部分を削除します。--ヴぁ 2009年2月13日 (金) 01:09 (JST)

珍しい名前であることには違いありませんし、特に「スザクゲームズ」という単語と併記してあると「スザクダ」と読んでしまうのもうなずける気がします。積極的に残すべきとまでは言いませんが、少し整形して残しておいても良いんじゃないでしょうか。--115.163.154.252 2009年2月13日 (金) 10:35 (JST)

本文初めに「朱鷺田 祐介(ときた ゆうすけ)…」と読み方はあるし、公式サイトを見ると正式名称は「スザク・ゲームズ」で「朱雀ゲームズ」とは書かないようです。併記してあっても間違えないと思うのですが…。
仮に残すとしたら、どういった記述をお考えですか?--ヴぁ 2009年2月14日 (土) 03:58 (JST)
一月経ちましたが代替案が挙げられなかったため該当記述を削除します。--ヴぁ 2009年3月15日 (日) 23:29 (JST)
今更口を出すのもあれかとは思いますが、この項目とその履歴を今見つけたので少々意見を。
私は「スザクダ」のくだりはあった方がいいのではと思います。何故なら正しい読みが書いてあっても「こういう誤読がある」と言う事を別途言われないと気づかない人は結構居ます。と言うか誤読している自覚が無い人は大抵そう言う人です。しかしながら「スザク」を「朱雀(のような字)」と書くと知っている人は多々おり、「スザク・ゲームズ」と言う名前を「朱雀」と結びつけ、そして頭の文字の共通点から苗字もそうなんだと思い込むというのが誤読の殆どです。(この誤読をしていた人を対象に調査したわけではありませんが、漢字の読みを間違って覚えている人は大抵こんな感じのパターンです。)
そういう訳で、「正しい読みは上に書いてある」「『スザクゲームズ』であって『朱雀ゲームズ』とは書いていない」だけでは、誤読している人に対する配慮としては足りているとは言いがたいのではないかと思います。(誤読をした事が無い人にとってはこのあたりが理解しづらいかも知れませんが…。)

--ACB 2009年6月1日 (月) 07:03 (JST)

漢字の誤読・誤記をしてしまう普通の人間として意見を述べさせていただきます。
こう読み間違えるかも、ああ誤解されるかも…と可能性の低いものまで挙げ連ねて書く、これは明らかに非常識です。(もしかしたら誤読するかもしれないたった1人のために書く、と言い換えると聞こえはいいのですが)現実的には、読み間違えが頻出している場合にのみ振り仮名に加えて一言注釈を加える、これくらいが丁度いいと思います。
ところで、「朱鷺田」を「すざくだ」と間違える方はそんなに多くいるのですか?誤読や誤表記はよく見かけるものなのでしょうか?--ヴぁ 2009年6月3日 (水) 02:16 (JST)
以下はACBさん個人に対して
ACBさんとは何度かお話ししてきた経緯から申し上げさせていただきます。ACBさんには、「Aかもしれません」と仮定や推論を挙げたあとに、「と言うかAです」と断定したり、「と言うか(更なる仮定・推論)Bです」とAを既成事実であるかのように話を進めたり、「と言うか(極論)Cです」とありえない方向に論を展開する癖が見受けられます。説得力を持たせるような考え方とか実例とかを添えたり、結論に至る過程をきちんと説明するなどしないと、導き出された結論A,B,Cに誰も納得できません。
揚げ足を取るようで嫌なんですが、今回のACBさんの主張を順を追って見ていきましょう(一部強調しました)。
  1. 「正しい読みが書いてあっても『こういう誤読がある』と言う事を別途言われないと気づかない人」は「結構居ます」。
    確かにそういう人は結構いそうですね。
  2. と言うか誤読している自覚が無い人は大抵」「正しい読みが書いてあっても『こういう誤読がある』と言う事を別途言われないと気づかない人」である。
    極論です。振り仮名が振ってあるのを見て誤読に気付く人だって結構いるでしょう。
  3. 「『スザク』を『朱雀(のような字)』と書くと知っている人は多々」いる。
    神事や地名で使われているので「多々」いるかはともかく、それなりに浸透していると思います。
  4. (3)を受けて「『スザク・ゲームズ』と言う名前を『朱雀』と結びつけ、そして頭の文字の共通点から苗字もそうなんだと思い込む」
    仮定の上に仮定を重ねるように思えますが、誤読が生じる理屈としてはありえなくはないでしょう。
  5. (4)「というのが誤読の殆どです。」
    極論です。一例としてはあるかもしれないが「誤読の殆ど」と断定する理由に乏しいです。
  6. (1)~(5)に付記して「この誤読をしていた人を対象に調査したわけではありませんが」
    信憑性は低いと言うことですね。むしろ詳しい状況を知らないのに、どうして(5)で「誤読の殆ど」と断定できたのでしょう。
  7. 「漢字の読みを間違って覚えている人は大抵こんな感じのパターンです。」「そういう訳で、(以下省略)」
    (1)~(6)を考慮すると全く賛同できません。
支離滅裂じゃありませんか?M:TGのルールに回答する時のように筋の通った文章を書いていただけないでしょうか。--ヴぁ 2009年6月3日 (水) 02:16 (JST)


まんま揚げ足ではないでしょうか…。
>「朱鷺田」を「すざくだ」と間違える方はそんなに多くいるのですか?
「少数派なら記載しなくて良い」と言う考えであるなら、具体的にどのくらい居れば記載OKなんでしょうか? たとえ全体から見たら少数派であっても、日本にたった一人か二人しか居ないとかで無い限り、十分に記載する理由になり得ると思うのですが…無視しても良いと断言出来るほどこの誤読をする人がごく僅かであると思う理由は何でしょうか?
>極論です。振り仮名が振ってあるのを見て誤読に気付く人だって結構いるでしょう。
詳しくは後述しますが、もしフリガナがあったとしても間違える可能性は残ります。何故なら人間は特別な理由が無い限り、そこまで文章を詳しく読まないからです。(フリガナがあった方が間違える可能性が低くなるのは確かでしょうけども)
>極論です。一例としてはあるかもしれないが「誤読の殆ど」と断定する理由に乏しいです。
いいえ。これは人間と言う生きものが文字を読み間違える際のメカニズムとして有名なものです。人間は文章を読む時は情報処理の効率を高めるために一字一字を見ず文脈で大雑把に判断しつつ読みますが、そのために各単語それぞれが「知っている単語」なのか「知っている単語に良く似た別の単語」なのかを区別しない(できない)事が多々あります。(検索すれば山ほど出てきますが)
「スザクダ」と言う誤読のこの件に限っての調査は先に書いたとおり実施した事はありませんが、まさか同じ誤読でも特定の漢字の時だけ人間の脳が全く異なる活動をする、なんて事は常識から言って考えられませんから、一般的な漢字の誤読と同じパターンであると言ってしまって差し支えないでしょう。
--ACB 2009年6月3日 (水) 08:54 (JST)

一例を挙げて→「というのが誤読の殆どです。」と普遍化する極論に部分的に筋が通りました。つまり「漢字の誤読が生じるメカニズムに当てはめると、誤読『すざくだ』が生じる説明がつけられる」と、こういうことですね。私にとって、このメカニズムは「誰にでもしばしば起こりうる文字・単語・文章などの読み間違いについて、人間が視覚から情報を得る際の機能的な面から説明する理屈」くらいの認識なのですが。確かに「すざくだ」という誤読が存在するならば、その誤読が生じる過程を説明する理屈の1つとしては当てはめられるでしょう(この点は元々異議ありません)。

有名な理論は全てを解明しない
とはいうものの、このメカニズムが「誤読の殆ど」を説明できるとは到底信じられません。何よりACBさんは立脚点から嘘があります(これは既に私が極論だと指摘したものです)。
  1. ACBさんの主張「誤読している自覚が無い人は大抵そう言う人(正しい読みが書いてあっても『こういう誤読がある』と言う事を別途言われないと気づかない人)です。」
  2. ACBさんによる補足「フリガナがあったとしても間違える可能性は残ります」「フリガナがあった方が間違える可能性が低くなるのは確か」というのは、この(1)における「大抵」に含まれないごく少ない数と解釈しました(この(1)が極論であるとも間違いであるともACBさんは言及していないため)。
ACBさんから提示された漢字の誤読が生じるメカニズムは、少なくない人がおそらくどこかで耳にしたことがある類の理屈であり、ACBさんは「有名なもの」「検索すれば山ほど出てきます」と言います(その点では異論は無く、メカニズム自体には一定の客観性・説得力が備わっている)。では、有名ならば全てを解明できるのでしょうか?答えはノーです。
自覚の無い誤読には色々なパターンがあります。全てのパターンを挙げ切れていないでしょうが、大雑把にこういったものがあると思われます(以下例示)。
  • 間違った読み方を教えられていた(誤読が慣例化している周囲の影響、情報源とした雑誌やテレビなどの振り仮名や発音が正しくなかった、など)
  • 読み方が分からなかったので類推して読んで間違った(振り仮名が振られていない、別の熟語での読み方に倣った、などの理由)
  • 読み方が複数あり、読み方によって意味が異なる場合に間違った読み方を選択した、あるいは別の読み方を知らなかった
  • 別の語句と勘違いした、文字の取り間違い、ある種の認識障害(ACBさんの提示した理屈で説明がつくものはこの範囲に含まれる類)
  • 言い間違い・勘違い・度忘れなど取るに足らない単純な理由(特定の語に限定されずにしばしば起こりうるもの)
ざっと示したこれらの中でも、「正しい読みが書いてあっても『こういう誤読がある』と言う事を別途言われないと気づかない人」が「大抵」を占め、それに比べて他のものは少ないなんてACBさんの主張は、常識的に考えてありえません(これが立脚点の嘘です)。
正しい読みが書いてあれば誤読を防げたり、間違いを正せることの方がよくあるケースじゃないでしょうか(「別途言われな」くてもです)。それに、正しい読みが書いてあるのに誤読してしまった人でも毎回それを繰り返すともいえないでしょう。これが、誤読している自覚の無い人への注意喚起としては振り仮名だけで十分、と考える私の理由の1つです。別途に特筆性が生じる場合もあるので以下に。
ACBさんの主張の是非とは別に質問への回答
  1. ACBさんの発言「『少数派なら記載しなくて良い』と言う考えであるなら」に対して
    初めにはっきりと示しておきます。少数派意見の封殺など意図していません。問題(この場合は誤読のこと)の発展的な解消を目指す、発生が懸念される問題に対して予防線を張る・警鐘を鳴らす、こういった方向性であるべきです(ACBさんの記述内容を重ねて確認しているのはこのため)。
  2. ACBさんの発言(1)に続く発言「具体的にどのくらい居れば記載OKなんでしょうか? たとえ全体から見たら少数派であっても、日本にたった一人か二人しか居ないとかで無い限り、十分に記載する理由になり得ると思うのですが…」に対して
    誤読している人が0人か1人か2人か、何人程度の少数派かどうかはM:TG Wikiに参加している個人のレベルでは調査しえない類です。これを証明しろとはナンセンスな発想です。当然、何人(何割)いれば記載していいか、というアプローチでは判断の基準が定められる訳がないのですけど、それくらい織り込み済みで質問して欲しかったですね。
  3. ACBさんの質問「無視しても良いと断言出来るほどこの誤読をする人がごく僅かであると思う理由は何でしょうか?」
    (1)(2)に答えたように「ごく僅か」だから「無視して良い」では判断理由になりません。そういうアプローチでは答えが出せないから、実際に誤読・誤表記が多いと思われるもの・目立つものを取り上げるのが現実的ということです。
    ちなみに誤読している人が「日本にたった一人か二人しか居ないとかで」あっても記載する理由(特筆性)が発生することがあります。要は人数や割合だけの問題ではないのです。以下に詳述します。
誤読する人の規模について
誤読している人が0人か1人か2人か、少数派かどうかはM:TG Wikiに参加している個人のレベルでは調査しえない類ですが、ある程度の層を形成しているならそれを示せるはずです。
どういうことかというと、少なさの程度が証明不能な一方で、逆に多いならば証言・証拠の積み重ねで類推することは可能であるからです(例えば、朱鷺田さんに関する記事で名前の読み間違えが取り上げられたとか、ブログや掲示板などでよく間違えられて書かれているとか、誤読しているコミュニティを幾つか挙げることができるとか、動画取材(Video Coverage)で誤読が記録されているとか…)。ただし、各々の証言・証拠について検証の余地は残るかもしれません。
もし仮に、ある程度の層を形成するほど誤読「すざくだ」が問題とされているなら、「規模と言う点」で特筆する意義は私には十分あると思えます。本件においては、あらかじめ私はまずどういう意図による書き込みか問いかけました。しかし、実例の提示は無く、理屈の上では起こりうる誤読だろう、という2者の意見しか頂けませんでした。また参考までに、個人的な経験ではありますが「朱鷺」を読めない人はいても「すざく」という誤読には出会ったことがありません。
だが、誤読する人の多少だけが問題ではない
先ほど、「規模と言う点」で特筆する意義が出ると述べましたが、人数の多い少ないでのみ特筆性は判断するべきものでもないでしょう。想定されうる状況を挙げて説明すると
  • 誤読している人が多くても特筆性が生じない
    1. 人名に使われる漢字には複数の読み方を持つものも多々ある(例:人名の「田」は「だ」とも「た」とも読みうる。人物頁ごとに注釈を加えていては埒が明かない→読み仮名だけで十分)
      • ただし、特別なエピソードが加わるならば特筆性が生じる場合もある(例:あまりにも誤読されるため作家活動では本名の「た」ではなく「だ」と名乗っている、など。誤読にまつわるエピソードとして)
  • 誤読している人が1人でも特筆性が生じる
    1. ある1名が不特定多数が情報源としている媒体に誤読を掲示する(例:同一人物によって公式ソースで誤読が掲載され、その影響で読み間違えが頻出している、あるいは頻出する恐れがある、など)
    2. MTGにおいて影響力のある人物による誤読(例:重要な公式の場において誤読し大きな反響が生じた、など。誤読にまつわるエピソードとして)
したがって、個別に特筆性を判断する必要が出てくる場合はあり、ケースバイケースで判断は行う、つまり議論を行わざるをえないところがあるのです。ことM:TG Wikiにおける誤読について明確な線引きをするには、議論や実例が足りないと言うことになります。
長文になりましたが
長文になりましたが以上を集約した私の主張が
こう読み間違えるかも、ああ誤解されるかも…と可能性の低いものまで挙げ連ねて書く、これは明らかに非常識です。(もしかしたら誤読するかもしれないたった1人のために書く、と言い換えると聞こえはいいのですが)現実的には、読み間違えが頻出している場合にのみ振り仮名に加えて一言注釈を加える、これくらいが丁度いいと思います。
です。
本当はこういいたいんじゃないの?
私の想像の範囲であり、ACBさんが実際に書き込まれている内容と大きく異なっているのですが、本当はACBさんはこう言いたかったのではないですか?
私は「スザクダ」のくだりはあった方がいいのではと思います。
まず、人間と言う生きものが文字を読み間違える際の有名なメカニズムがあります。それによると、人間が文章を読む時は情報処理の効率を高めるために一字一字を見ず文脈で大雑把に判断しつつ読むため、各単語それぞれが「知っている単語」なのか「知っている単語に良く似た別の単語」なのかを区別しない(できない)事が多々ある、のだそうです。
このメカニズムは「スザクダ」の件でも当てはめられるでしょう。つまり、「朱鷺」を「トキ」と読める人は多くはないでしょうが「スザク」を「朱雀(のような字)」と書くと知っている人は少なくないため、「スザク・ゲームズ」と言う名前を「朱雀」と結びつけ、そして頭の文字の共通点から苗字もそうなんだと思い込む、こういう理屈が成り立つ、ということになります。
また、正しい読みが書いてあっても「こういう誤読がある」と言う事を別途言われないと気づかない人は結構居ます。そう言う人に対する配慮としては振り仮名だけでは足りているとは言いがたいのではないかと思います。
私は、たとえ全体から見たら少数派であっても、日本にたった一人か二人しか居ないとかで無い限り十分に記載する理由になり得ると考えているため、「スザクダ」のくだりは必要だと思います。もし「少数派なら記載しなくて良い」と言う考えがM:TG Wikiの方針であるなら、それは建設的とは言えないのではないでしょうか?
いや、これは私の邪推に過ぎません。--ヴぁ 2009年6月10日 (水) 02:33 (JST)



はじめに・以下は色々と気分を害するであろう表現が含まれていますが、あえてそういう表現を使っています。読む気が失せてしまう程に必要以上に問題を極論化し大げさにしているだけにしか見えないからです。「一度決着した議論に口を出すな」と言うのであれば私もあえてこれ以上の議論を続けるつもりはありませんが…。
>では、有名ならば全てを解明できるのでしょうか?答えはノーです。
>自覚の無い誤読には色々なパターンがあります。全てのパターンを挙げ切れていないでしょうが、大雑把にこういったものがあると思われます
挙げられた例は関係ない話か私が挙げたパターンで説明できてしまう物のどちらかしか無いように見えますが…
>「正しい読みが書いてあっても『こういう誤読がある』と言う事を別途言われないと気づかない人」が「大抵」を占め、
そんな事書いた覚えは無いのですが…結構いますとは書きましたが、「結構いる」これだけで「間違える人の方が大多数である」のような取られ方をするとしたら、一度日本語について話し合う所から始めないといけないのではないでしょうか?
正しい読みが書いてある、にも種類があります。問題の漢字の真横に書いてある場合、ページのタイトル部分やページの別の離れた場所に書いてあるだけの場合など色々あります。あなたの考えているのは全て希望的観測に基づくものばかりです。
>当然、何人(何割)いれば記載していいか、というアプローチでは判断の基準が定められる訳がないのですけど、それくらい織り込み済みで質問して欲しかったですね。
通じていないようなので自分でネタバレ解説のような間抜けな事をせざるを得ないようですね…皮肉と言うものをご存知でしょうか。


>どういうことかというと、少なさの程度が証明不能な一方で、逆に多いならば証言・証拠の積み重ねで類推することは可能であるからです
根拠の提示を放り投げるわけではありませんが、ブログなどの不特定多数に公開している媒体で誤読をしてしかもそれがいつまでもそのまま残っていると言う事は非常に少ないでしょう。たわいの無い日常会話とは違うのですからそれだけ誤字・誤読に敏感になるでしょうし、もしあっても閲覧者によって指摘され修正される事もあります。
後半は拾い読み/Browseしてるので「ここは答えて欲しかったけどスルーされている」と言う点がもしあれば抜き出して催促してください。無ければこれ以上の返信は不要です。「全くの間違いである」とは言いませんし、あまりに可能性の低いものまで列挙したらきりが無いと言うのも分かります。私はこの件については列挙したらきりが無くなる「その他大勢」ほど低いレベルの問題ではないと思っていますし、あなたは「その他大勢」と同程度のレベルの問題だと思っている、それだけの事です。特筆性の有無は誤読の規模によってのみ決定される訳ではないためケースバイケースでしか考えられないとの事ですが、客観的かつ絶対的な何かの基準によってではなく、そのケースバイケースで「あなたが」「必要ないと考えた」だけですから。(同様に、私も「自分が」「必要あると考えた」だけと言えます)
--ACB 2009年6月10日 (水) 06:32 (JST)
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