玉田遼一

提供:MTG Wiki

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(グランプリ)
3行: 3行:
 
==概要==
 
==概要==
 
関西を中心に活動するプレイヤー。
 
関西を中心に活動するプレイヤー。
 +
 +
1990年代後半、父の書斎にマジックの初心者向けのルール解説本があり、それを読んたことがマジックとの出会いとなった。ただ、実際に現物を見るのは[[オデッセイ]]が発売されて以降であり、初めてオデッセイを購入した時も対戦する訳ではなくただ単にカードを手に入れたというだけであった<ref name="tamada">『マナバーン2018』(ホビージャパン、2017年11月30日初版)p.58 ISBN 9784798615776</ref>。
 +
 +
高校時代にカードショップで店舗大会に出るようになったが、当時のプレイヤーの多くのカード資産が十分な訳ではなかったという事情もあろうが、カードが1枚ずつしか入っていないようなデッキで対戦していた<ref name="tamada"/>。
 +
 +
永らくマジックは断続的に行っており、中断を復帰を繰り返していた。ちょうど仕事を辞めて暇であったころ、日本選手権でベスト8以上に2回残る実績を残した。本格的に競技プレイヤーとなったのは、2014年頃に[[覚前輝也]]から「一緒に本気でやらへん?」と誘われたことがきっかけ。それまでエンジョイ勢であった玉田にとってアメリカ遠征などは長距離である上に遠征費が高額なので考えられないことであったが、競技シーン参入に伴いナッシュビルなどへの遠征にも出かけるようになった<ref name="tamada"/>。
 +
 +
2010年に使用した[[赤単色デッキ|赤単]]、2011年に使用した[[ヴァラクート]]のように、単純な動きで誰でも使いこなせるデッキが好み<ref name="tamada"/>。
  
 
[[2015年]]には、個人戦で[[ワールド・マジック・カップ15大阪予選]]の優勝と[[プロツアー「戦乱のゼンディカー」]]準優勝という優秀な成績を残す。さらにチームの一員として出場した[[ワールド・マジック・カップ15]]でも、チームメイトからベスト・プレイヤーと評される活躍をし<ref>[http://magic.wizards.com/en/events/coverage/2015wmc/o-captain-my-captain-2015-12-11 O Captain! My Captain!]/[http://coverage.mtg-jp.com/wmc15/article/016182/# ああ、キャプテン! 我らがキャプテン!]</ref>、日本チーム初の[[ワールド・マジック・カップ]]ベスト8進出に貢献した。
 
[[2015年]]には、個人戦で[[ワールド・マジック・カップ15大阪予選]]の優勝と[[プロツアー「戦乱のゼンディカー」]]準優勝という優秀な成績を残す。さらにチームの一員として出場した[[ワールド・マジック・カップ15]]でも、チームメイトからベスト・プレイヤーと評される活躍をし<ref>[http://magic.wizards.com/en/events/coverage/2015wmc/o-captain-my-captain-2015-12-11 O Captain! My Captain!]/[http://coverage.mtg-jp.com/wmc15/article/016182/# ああ、キャプテン! 我らがキャプテン!]</ref>、日本チーム初の[[ワールド・マジック・カップ]]ベスト8進出に貢献した。
 +
 +
2018年のインタビューでは、70歳に定年退職して以降が本格的なマジック挑戦だと話しており、70歳あたりでピークになるように人生計画を立てている<ref name="tamada"/>。
  
 
==主な戦績==
 
==主な戦績==

2018年9月26日 (水) 15:04時点における版

玉田 遼一(たまだ りょういち)は、大阪のマジックプレイヤー

目次

概要

関西を中心に活動するプレイヤー。

1990年代後半、父の書斎にマジックの初心者向けのルール解説本があり、それを読んたことがマジックとの出会いとなった。ただ、実際に現物を見るのはオデッセイが発売されて以降であり、初めてオデッセイを購入した時も対戦する訳ではなくただ単にカードを手に入れたというだけであった[1]

高校時代にカードショップで店舗大会に出るようになったが、当時のプレイヤーの多くのカード資産が十分な訳ではなかったという事情もあろうが、カードが1枚ずつしか入っていないようなデッキで対戦していた[1]

永らくマジックは断続的に行っており、中断を復帰を繰り返していた。ちょうど仕事を辞めて暇であったころ、日本選手権でベスト8以上に2回残る実績を残した。本格的に競技プレイヤーとなったのは、2014年頃に覚前輝也から「一緒に本気でやらへん?」と誘われたことがきっかけ。それまでエンジョイ勢であった玉田にとってアメリカ遠征などは長距離である上に遠征費が高額なので考えられないことであったが、競技シーン参入に伴いナッシュビルなどへの遠征にも出かけるようになった[1]

2010年に使用した赤単、2011年に使用したヴァラクートのように、単純な動きで誰でも使いこなせるデッキが好み[1]

2015年には、個人戦でワールド・マジック・カップ15大阪予選の優勝とプロツアー「戦乱のゼンディカー」準優勝という優秀な成績を残す。さらにチームの一員として出場したワールド・マジック・カップ15でも、チームメイトからベスト・プレイヤーと評される活躍をし[2]、日本チーム初のワールド・マジック・カップベスト8進出に貢献した。

2018年のインタビューでは、70歳に定年退職して以降が本格的なマジック挑戦だと話しており、70歳あたりでピークになるように人生計画を立てている[1]

主な戦績

プロツアー

グランプリ

その他

代表的なデッキ

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 『マナバーン2018』(ホビージャパン、2017年11月30日初版)p.58 ISBN 9784798615776
  2. O Captain! My Captain!/ああ、キャプテン! 我らがキャプテン!

参考

QR Code.gif