Richard Garfield

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1985年にペンシルヴァニア大学卒業。専門は統計学。数学博士(Ph.D. in mathematics)号を持つ。
 
1985年にペンシルヴァニア大学卒業。専門は統計学。数学博士(Ph.D. in mathematics)号を持つ。
  
ボードゲーム『ロボラリー』を売り込みに[[ウィザーズ・オブ・ザ・コースト|ウィザーズ社]]に入社。しかしこのゲームは(新会社のWotcにはこれを販売する資金が乏しかったので)売れなかったため、『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』のサプリメント(シナリオ集)を担当していた[[Peter Adkison]]社長らとともに「もっと手軽に、ゲームとして面白く、コンベンションで盛り上がるゲームを作ろう」とプロジェクトが発足。
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大学卒業後、ベル研究所に就職するも再度学問の道を志し、博士号を修得。ワシントン州ワラワラのウィットマン大学の教授職に就く。
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ボードゲーム『ロボラリー』を売り込みに[[ウィザーズ・オブ・ザ・コースト|ウィザーズ社]]と交渉。しかしこのゲームは(新会社のWotcにはこれを販売する資金が乏しかったので)売れなかったため、『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』のサプリメント(シナリオ集)を担当していた[[Peter Adkison]]社長らとともに「もっと手軽に、ゲームとして面白く、コンベンションで盛り上がるゲームを作ろう」とプロジェクトが発足。
  
数か月後、リチャードはマジックの草案を提出。『[[コズミックエンカウンター]]』からヒントを得、これまでの決められたカード内でゲームを行う形ではなく、数多くのカードを用意し、それらを組み合わせてゲームを行い、[[エキスパンション]]を追加することでバリエーションが広がるという構想だった。リチャードを含む12人がオリジナル・デザインを担当し、1993年に[[リミテッド・エディション]]を生み出し、爆発的な人気を得た。
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数か月後、リチャードは大学院生時代に制作していたカードゲーム型教材を発展させた「マジック」の草案を提出。『[[コズミックエンカウンター]]』からヒントを得、これまでの決められたカード内でゲームを行う形ではなく、数多くのカードを用意し、それらを組み合わせてゲームを行い、[[エキスパンション]]を追加することでバリエーションが広がるという構想だった。リチャードを含む12人がオリジナル・デザインを担当、1993年に8月に試験版である[[リミテッド・エディション]](通称[[アルファ]])を世に送り出すと想定外の売れ行き(半年を目標とした販売計画であったが、わずか6週間で100万枚を完売)を達成、爆発的な人気を得た。
  
その後、開発陣は[[アイスエイジ]]とMenagerie(のちの[[ミラージュ]])の開発に取り掛かる。リチャードは[[アラビアンナイト]]の監修を担当して以来、長らく直接デザインには関与しておらず、[[ウルザズ・サーガ]]、[[オデッセイ]]、[[ラヴニカ:ギルドの都]]、[[イニストラード]]などの部分的な参加に留まっている。
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1994年6月、教授職を辞してウィザーズ社へ正式に入社。その後、開発陣は[[アイスエイジ]]とMenagerie(のちの[[ミラージュ]])の開発に取り掛かる。リチャードは[[アラビアンナイト]]の監修を担当して以来、長らく直接デザインには関与しておらず、[[ウルザズ・サーガ]]、[[オデッセイ]]、[[ラヴニカ:ギルドの都]]、[[イニストラード]]などの部分的な参加に留まっている。
  
 
また、製品を守ることに関しても彼は計算高い。[[タップ・シンボル]]や[[マナ・シンボル]]のコピーライト、[[トレーディングカードゲーム]]や[[タップ]]という行動などについて特許を取っている。
 
また、製品を守ることに関しても彼は計算高い。[[タップ・シンボル]]や[[マナ・シンボル]]のコピーライト、[[トレーディングカードゲーム]]や[[タップ]]という行動などについて特許を取っている。
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*[[セラの天使/Serra Angel]]の名付け親でもある。<!-- http://gyaza.imini.biglobe.ne.jp/articles/2004081002_1.html -->
 
*[[セラの天使/Serra Angel]]の名付け親でもある。<!-- http://gyaza.imini.biglobe.ne.jp/articles/2004081002_1.html -->
 
*ジョークエキスパンションの[[アンヒンジド]]でリチャード自身が[[Richard Garfield, Ph.D.]]としてカード化された。
 
*ジョークエキスパンションの[[アンヒンジド]]でリチャード自身が[[Richard Garfield, Ph.D.]]としてカード化された。
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*大学時代の留学経験から、インド民話にも造詣が深い。[[シヴ山のドラゴン/Shivan Dragon]]や[[ウルザ/Urza]] [[ミシュラ/Mishra]]の等のネーミングにその一端が顕れている。
  
 
==主な担当セット==
 
==主な担当セット==

2019年2月20日 (水) 10:46時点における版

リチャード・ガーフィールド(Richard Garfield)は、アメリカのゲームデザイナーで、マジック:ザ・ギャザリングの生みの親。

目次

解説

1985年にペンシルヴァニア大学卒業。専門は統計学。数学博士(Ph.D. in mathematics)号を持つ。

大学卒業後、ベル研究所に就職するも再度学問の道を志し、博士号を修得。ワシントン州ワラワラのウィットマン大学の教授職に就く。 ボードゲーム『ロボラリー』を売り込みにウィザーズ社と交渉。しかしこのゲームは(新会社のWotcにはこれを販売する資金が乏しかったので)売れなかったため、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のサプリメント(シナリオ集)を担当していたPeter Adkison社長らとともに「もっと手軽に、ゲームとして面白く、コンベンションで盛り上がるゲームを作ろう」とプロジェクトが発足。

数か月後、リチャードは大学院生時代に制作していたカードゲーム型教材を発展させた「マジック」の草案を提出。『コズミックエンカウンター』からヒントを得、これまでの決められたカード内でゲームを行う形ではなく、数多くのカードを用意し、それらを組み合わせてゲームを行い、エキスパンションを追加することでバリエーションが広がるという構想だった。リチャードを含む12人がオリジナル・デザインを担当、1993年に8月に試験版であるリミテッド・エディション(通称アルファ)を世に送り出すと想定外の売れ行き(半年を目標とした販売計画であったが、わずか6週間で100万枚を完売)を達成、爆発的な人気を得た。

1994年6月、教授職を辞してウィザーズ社へ正式に入社。その後、開発陣はアイスエイジとMenagerie(のちのミラージュ)の開発に取り掛かる。リチャードはアラビアンナイトの監修を担当して以来、長らく直接デザインには関与しておらず、ウルザズ・サーガオデッセイラヴニカ:ギルドの都イニストラードなどの部分的な参加に留まっている。

また、製品を守ることに関しても彼は計算高い。タップ・シンボルマナ・シンボルのコピーライト、トレーディングカードゲームタップという行動などについて特許を取っている。

リリー・ウー(Lily Wu)女史とデュエルで結婚を申し込む際にProposalというカードを印刷させたエピソードは有名である。その後も第一子誕生時にSplendid Genesis、第二子誕生時にFraternal Exaltationと記念カードを製作している。奥さんの名前のアナグラムワイルーリーの狼/Wyluli Wolfが作られたことも特筆しておくが、ジェイラム秘本/Jalum Tomeフェルドンの杖/Feldon's Caneなど開発陣の名前のアナグラムは伝統的に作られていることもお忘れなく。また、敬称と自身の名前をアナグラムしたPhelddagrifというカードも作られた。

2015年にKoni Kim女史と再婚。この際にプロモーションカードとしてPhoenix Heartが3枚プリントされている。

主な担当セット

そのほか、カジュアルゲームウィンストン・ドラフトも考案している。

マジック以外のゲームデザイン

マジックの他にも様々なアナログゲームのデザインを手掛けている。以下はその一部。

  • ロボラリー(Roborally) … MTGの成功を期に、1994年に発売
  • グレートダルムチ(The Great Dalmuti)
  • ネットランナー(Netrunner)
  • ストーンヘンジ(Stonehenge)
  • キング・オブ・トーキョー(King of Tokyo)
  • ゴォ~スト!(Ghooost!)

上記以外に製作の協力をしていることもある。

関連カード

参考

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