藤田憲一
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− | ''' | + | '''藤田 憲一'''(ふじた けんいち)は、<!--身長186cm、体重120kg以上(推定)靴のサイズ30センチ (要出典)-->数少ないアメリカやヨーロッパの巨漢[[プレイヤー]]たちと引けを取らない体格を持つ日本人[[プロプレイヤー]]。[[マジック:ザ・ギャザリング|マジック]]黎明期より渋谷を中心に活躍しており、[[中村聡]]や[[広木克哉]]と共に、日本へのマジック普及のために尽力した。相手を威嚇するかのような表情から「'''悪い男'''」の異名を持つ。愛称は'''フジケン'''、'''組長'''。 |
− | + | 日本初の[[グランプリ]]、[[グランプリ東京97]]で優勝を果たす。しかし、優勝トロフィーをうっかり落として壊してしまい、[[Andrew Finch]]に代わりのトロフィーを貰えるかを尋ねるものの、「またグランプリを勝ちなよ」と言われ貰うことができなかった。そして、言われたとおり[[グランプリ台北99]]で再び優勝を果たす。 | |
− | + | 日本で初めて強豪プレイヤーたちが結集した集団「'''フジケン組'''」の創立者とされるが、意図的に作ったのではなく、渋谷のプレイヤーによって勝手につけられたもので、「フジケン組」たるチームはなかった、氏は発言している。氏のこわもてとその命名があいまって、暴力団の名前であるかのように一人歩きし、今でもたびたび氏をからかうネタとなっている。'''フジケン組長'''と呼ばれるのはこれが由来である。 | |
− | 現在は[[ゲームぎゃざ]] | + | 現在は[[ゲームぎゃざ]]などで、初級~中級者向けの[[ルーリング]]講座のガイド役をして後進の育成に貢献している。また、プレイヤーとしても日本選手権への11年連続出場(つまり第1回からの全大会に出場)の最多記録を更新中。 |
− | [[グランプリ東京97]]で[[戦士の誉れ/Warrior's Honor]]の存在を利用した[[ブラフ]] | + | [[グランプリ東京97]]で[[戦士の誉れ/Warrior's Honor]]の存在を利用した[[ブラフ]]から、「攻撃する時は、とぼけてアタック」なる迷言を生み出した。 |
*[[金澤尚子|ぴよぷー]]漫画の似顔絵は詐欺とも。 | *[[金澤尚子|ぴよぷー]]漫画の似顔絵は詐欺とも。 | ||
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*「練習しなければしないほど強い」らしい。 | *「練習しなければしないほど強い」らしい。 | ||
*かつて[[ゲームぎゃざ]]のコラムで[[真木孝一郎]]と対談し、ふたりして「マジックよりも納豆のほうが大事」という結論を出していた。 | *かつて[[ゲームぎゃざ]]のコラムで[[真木孝一郎]]と対談し、ふたりして「マジックよりも納豆のほうが大事」という結論を出していた。 | ||
− | *セガ発売のアーケードゲーム、[http://www.sangokushi-taisen.com/ 三国志大戦] | + | *セガ発売のアーケードゲーム、[http://www.sangokushi-taisen.com/ 三国志大戦]ではハンドル名「'''国姓爺'''」として上位プレイヤーの1人である。彼の構築したデッキは「国姓爺デッキ」として名を残している。 |
==おもな戦績== | ==おもな戦績== | ||
− | *[[ | + | *[[プロツアーアムステルダム04]] ベスト16 |
− | *[[ | + | *[[グランプリ静岡03]] ベスト8 |
− | *[[日本選手権99 | + | *[[日本選手権99]] ベスト4 |
− | *[[ | + | *[[グランプリ台北99]] 優勝 |
− | *[[ | + | *[[グランプリ東京97]] 優勝 |
==代表的なデッキ== | ==代表的なデッキ== | ||
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==参考== | ==参考== | ||
+ | *[http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/jpfeature/20030722a インタビュー:藤田憲一 パート1] ([[WotC]]) | ||
*[[実在の人物]] | *[[実在の人物]] |
2008年10月31日 (金) 15:00時点における版
藤田 憲一(ふじた けんいち)は、数少ないアメリカやヨーロッパの巨漢プレイヤーたちと引けを取らない体格を持つ日本人プロプレイヤー。マジック黎明期より渋谷を中心に活躍しており、中村聡や広木克哉と共に、日本へのマジック普及のために尽力した。相手を威嚇するかのような表情から「悪い男」の異名を持つ。愛称はフジケン、組長。
日本初のグランプリ、グランプリ東京97で優勝を果たす。しかし、優勝トロフィーをうっかり落として壊してしまい、Andrew Finchに代わりのトロフィーを貰えるかを尋ねるものの、「またグランプリを勝ちなよ」と言われ貰うことができなかった。そして、言われたとおりグランプリ台北99で再び優勝を果たす。
日本で初めて強豪プレイヤーたちが結集した集団「フジケン組」の創立者とされるが、意図的に作ったのではなく、渋谷のプレイヤーによって勝手につけられたもので、「フジケン組」たるチームはなかった、氏は発言している。氏のこわもてとその命名があいまって、暴力団の名前であるかのように一人歩きし、今でもたびたび氏をからかうネタとなっている。フジケン組長と呼ばれるのはこれが由来である。
現在はゲームぎゃざなどで、初級~中級者向けのルーリング講座のガイド役をして後進の育成に貢献している。また、プレイヤーとしても日本選手権への11年連続出場(つまり第1回からの全大会に出場)の最多記録を更新中。
グランプリ東京97で戦士の誉れ/Warrior's Honorの存在を利用したブラフから、「攻撃する時は、とぼけてアタック」なる迷言を生み出した。
- ぴよぷー漫画の似顔絵は詐欺とも。
- トキリンに代わり、レミィの師匠として描かれる。現在はその役目を単色王子ジョンにバトンタッチをしている。
- 黒使いとしても有名で強迫/Duressをこよなく愛している。本人いわく、「初手に強迫が無ければマリガン」だそうだ。
- 「練習しなければしないほど強い」らしい。
- かつてゲームぎゃざのコラムで真木孝一郎と対談し、ふたりして「マジックよりも納豆のほうが大事」という結論を出していた。
- セガ発売のアーケードゲーム、三国志大戦ではハンドル名「国姓爺」として上位プレイヤーの1人である。彼の構築したデッキは「国姓爺デッキ」として名を残している。
おもな戦績
- プロツアーアムステルダム04 ベスト16
- グランプリ静岡03 ベスト8
- 日本選手権99 ベスト4
- グランプリ台北99 優勝
- グランプリ東京97 優勝