藤田憲一

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90年代~00年代にかけて、[[ゲームぎゃざ]]などで、コラムの執筆や初級~中級者向けの[[ルーリング]]講座のガイド役をして後進の育成に貢献。また、プレイヤーとしても[[日本選手権]]に第1回(1996年)から11年連続出場の大記録を樹立した。
 
90年代~00年代にかけて、[[ゲームぎゃざ]]などで、コラムの執筆や初級~中級者向けの[[ルーリング]]講座のガイド役をして後進の育成に貢献。また、プレイヤーとしても[[日本選手権]]に第1回(1996年)から11年連続出場の大記録を樹立した。
 
現在は第一線を退いているものの、[[タカラトミー]]のホームページで[[基本セット2010]]のコラム([http://archive.mtg-jp.com/reading/000949/ 黒レビュー])を担当するなど、今なお存在感を示している。
 
  
 
*[[黒]](特に[[手札破壊|ハンデス]])使いとしても有名で[[強迫/Duress]]をこよなく愛している。本人いわく、「初手に強迫が無ければ[[マリガン]]」だそうだ。
 
*[[黒]](特に[[手札破壊|ハンデス]])使いとしても有名で[[強迫/Duress]]をこよなく愛している。本人いわく、「初手に強迫が無ければ[[マリガン]]」だそうだ。
*[[金澤尚子|ぴよぷー]]漫画の似顔絵は詐欺とも。[http://www.asahi-net.or.jp/~at9n-knzw/Lemmy/Lemmy.html 参考](二段目最左)
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*[[朱鷺田祐介|トキリン]]に代わり、二代目[[レミィ・キルミスター|レミィ]]の師匠として描かれる。その後、[[景山太郎|単色王子ジョン]]にその役目をバトンタッチしている。
*[[朱鷺田祐介|トキリン]]に代わり、[[レミィ・キルミスター|レミィ]]の師匠として描かれる。その後、[[景山太郎|単色王子ジョン]]にその役目をバトンタッチしている。
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*上記の[[金澤尚子|ぴよぷー]]漫画の似顔絵は詐欺とも。[http://www.asahi-net.or.jp/~at9n-knzw/Lemmy/Lemmy.html 参考](二段目最左)
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*[[グランプリ東京97]][[戦士の誉れ/Warrior's Honor]]の存在を利用した[[ブラフ]]から、「攻撃する時は、とぼけてアタック」なる迷言を生み出した。[http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/jpstrategy/jp20011214a 参考]
 
*上述の通り「日本初のグランプリ覇者がトロフィーを割った」という伝説を残したのだが、後のフジケン組のネタと相まって'''故意に[[粉砕/Shatter|叩き割った]]'''と認識しているプレイヤーが少なからずいる。
 
*上述の通り「日本初のグランプリ覇者がトロフィーを割った」という伝説を残したのだが、後のフジケン組のネタと相まって'''故意に[[粉砕/Shatter|叩き割った]]'''と認識しているプレイヤーが少なからずいる。
 
*「練習しなければしないほど強い」らしい。
 
*「練習しなければしないほど強い」らしい。
*[[グランプリ東京97]]で[[戦士の誉れ/Warrior's Honor]]の存在を利用した[[ブラフ]]から、「攻撃する時は、とぼけてアタック」なる迷言を生み出した。[http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/jpstrategy/jp20011214a 参考]
 
 
*かつて[[ゲームぎゃざ]]のコラムで[[真木孝一郎]]と対談し、ふたりして「マジックよりも納豆のほうが大事」という結論を出していた。
 
*かつて[[ゲームぎゃざ]]のコラムで[[真木孝一郎]]と対談し、ふたりして「マジックよりも納豆のほうが大事」という結論を出していた。
 
*セガ発売のアーケードゲーム、[http://www.sangokushi-taisen.com/ 三国志大戦]ではハンドル名「'''国姓爺'''」として上位プレイヤーの1人である。彼の構築したデッキは「国姓爺デッキ」として名を残している。[http://www.wikihouse.com/sangokushi/index.php?%B9%F1%C0%AB%CC%EC%A5%C7%A5%C3%A5%ADver1.1 参考]
 
*セガ発売のアーケードゲーム、[http://www.sangokushi-taisen.com/ 三国志大戦]ではハンドル名「'''国姓爺'''」として上位プレイヤーの1人である。彼の構築したデッキは「国姓爺デッキ」として名を残している。[http://www.wikihouse.com/sangokushi/index.php?%B9%F1%C0%AB%CC%EC%A5%C7%A5%C3%A5%ADver1.1 参考]
 
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*現在は第一線を退いているものの、[[タカラトミー]]のホームページで[[基本セット2010]]のコラム([http://archive.mtg-jp.com/reading/000949/ 黒レビュー])を担当するなど、今なお存在感を示している。
[[日本選手権11]]と併催された[[バトル・オブ・チャンピオン]]のフォーマット、[[シールド|スーパーシールド]]の解説を公式サイトで行った。[http://mtg-jp.com/reading/special/001780/ 参考]
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*[[日本選手権11]]と併催された[[バトル・オブ・チャンピオン]]のフォーマット、[[シールド|スーパーシールド]]の解説を公式サイトで行った。[http://mtg-jp.com/reading/special/001780/ 参考]
 
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*[[基本セット2012]]では[[鍛冶友浩]]と共にコラムを執筆した。[http://mtg-jp.com/reading/metta/001791/ 参考]
[[基本セット2012]]では[[鍛冶友浩]]と共にコラムを執筆した。[http://mtg-jp.com/reading/metta/001791/ 参考]
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*ホビージャパン ゲーム開発課に在籍。同社から発売された「ラスト クロニクル」のプロデューサーを務める(2013年5月16日)[http://www.4gamer.net/games/216/G021638/20130516105/ 参考]
 
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ホビージャパン ゲーム開発課に在籍。同社から発売された「ラスト クロニクル」のプロデューサーを務める(2013年5月16日)[http://www.4gamer.net/games/216/G021638/20130516105/ 参考]
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==おもな戦績==
 
==おもな戦績==

2013年6月24日 (月) 10:14時点における版

藤田 憲一(ふじた けんいち)は、日本のマジックプレイヤー

アメリカやヨーロッパの巨漢プレイヤーたちに引けを取らない体格を持ち、相手を威嚇するかのような表情から「悪い男」の異名を持つ。愛称はフジケン組長

目次

概要

マジック黎明期より渋谷を中心に活躍しており、中村聡広木克哉と共に、日本でのマジック普及に尽力した。

日本初のグランプリであるグランプリ東京97で優勝を果たす。しかし、優勝トロフィーをうっかり落として壊してしまい、Andrew Finchに代わりのトロフィーを貰えるかを尋ねるものの、「またグランプリを勝ちなよ」と言われ貰うことができなかった。そして、言われたとおりグランプリ台北99で再び優勝(日本人初の海外グランプリ制覇)を果たす。

日本で初めて強豪プレイヤーたちが結集した集団「フジケン組」の創立者とされるが、意図的に作ったのではなく、渋谷のプレイヤーによって勝手につけられたもので、「フジケン組」たるチームはなかったと氏は発言している。氏のこわもてとその命名があいまって、暴力団の名前であるかのように一人歩きし、今でもたびたび氏をからかうネタとなっている。フジケン組長と呼ばれるのはこれが由来である。

90年代~00年代にかけて、ゲームぎゃざなどで、コラムの執筆や初級~中級者向けのルーリング講座のガイド役をして後進の育成に貢献。また、プレイヤーとしても日本選手権に第1回(1996年)から11年連続出場の大記録を樹立した。

おもな戦績

代表的なデッキ

参考

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